花押

花押

花押というのは

平安時代の昔から印章の代わりとして用いられてきました「書き判」のことで、これは自署(署名)が変化して生まれた日本固有のものであり、わが国が他に誇りうる唯一無二の文化の一つであります。

現在は、大臣が閣議の決済に署名するときに用いられているほか、政界、財界、官界の方々や、風流を愛する方々に使われています。

具体的には、大臣を始め、国会議員、都道府県知事、市町村長、議員等の皆様、また、各省庁、自衛隊、各団体等の上層幹部の皆様、宗教界、教育界、文化・伝統・芸術界の皆様、茶・華道等の家元、会社・各種企業体の代表者、役員、医者、弁護士、会計士等、その他資産家など、各界のトップクラスにある人たちが用いるものとなっています。

花押の歴史

花押の起こりは701 年に制定された大宝律令にあると考えています。正式な文章に署名する方式が書かれています。

その署名方式には【官位、官職、姓、名】と書くように定められています。

ここで気が付くことは、官位、官職、姓までの筆跡と名の筆跡が違う点であり、名は丁寧に、本人の自署でしかも楷書体です。

この自署が時代と共に楷書体、草書体と変化して、花押と言われるようになります。

平安時代の中ごろより、偽書できないような、その人独特の癖のある草書体風の自署が流行するようになり、これが花押の始まりで、江戸時代の初めまで公文書、私文書に花押が使われました。

武田流花押とは

花押には、個人の性格や時代が反映されます。武田流花押は一筆書きを特徴とし、他人にまねされない戦国時代からの技法が伝わっています。

花押は自身の健康の願いや子孫の繁栄、先祖への敬意なども込められ。易経の思想などを取り入れデザインされます。

武田流花押の発祥は、武田信玄が家臣の小池和泉守胤貞に花押を管理する花押所を命じたことから、代々小池家に伝わりました。

清水研石氏は、第15代伝承者で近代文学研究者の故・小池藤吾郎氏から武田流花押を受け継ぎ、現在、第16代武田流花押伝承者である。

武田流花押は一子相伝であり、現代まで確立された一つの形で現代まで守られてきた唯一のものである。

徳川家康

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明治天皇

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空海

空海

武田信玄

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